
“好き”という気持ちは、モノづくりの出発点としてこれ以上ない力を持っている。
けれど、仕事として続けていくうちに、好きだけでは届かない壁が必ず現れる。
たくみ塾で最初の半年を過ごすと、誰もが一度はつまずく。
「こんなはずじゃなかった」と思う瞬間だ。
理屈では分かっていても、木が言うことを聞かない。
形にしようと焦れば焦るほど、カタチが崩れていく。
そのとき、誰もが口にする。
「好きで始めたのに、楽しくなくなってきました」と。
でも、ここからが本当のモノづくりの入り口だ。
“好き”という感情が試されるのではなく、
“続ける覚悟”が育ち始める瞬間でもある。
木工の現場では、思い通りにならないことのほうが多い。
素材の個性も、気温や湿度も、人の心も、日々変わる。
完璧な答えがないからこそ、職人はその都度、問い直しながら作り続ける。
たとえば、木目が予想より強く出たとき。それを欠点と見るか、表情と見るか。判断一つで作品の印象は変わる。
その一つひとつに、社会に届ける責任が伴う。
作る人がいる。使う相手がいる。
その人の手に渡ったときに、どんな時間を生むか。
職人の仕事は、そこまで含めて“作品”になる。
「好きなことを仕事にする」——この言葉には甘さもある。
本当の意味で仕事にするには、「誰かに役立ててもらう」視点が欠かせない。
それが加わると、モノづくりの手応えがまるで違ってくる。
塾のOBであるKさんは、家電メーカーを辞めて入塾した。
最初は「自分の好きな椅子を作りたい」という想いだけで動いていた。
だが実習の中で、ある日突然気づいたという。
「自分が座るための椅子じゃない。誰かが座るための椅子なんだ」と。
そこから、手の力の抜け方が変わった。
“好き”を超えて、“誰かのために作る”に変わった瞬間だ。
職人として生きていくというのは、
「自分が作りたいものを作る」こと以上に、
「社会の中で自分の作る意味を問い続ける」ことでもある。
たくみ塾では、木と向き合う技術の訓練と同じくらい、社会に向けて自分の仕事を言葉にする練習も大切にしている。
作ることと伝えること、その両輪が回り出すと、
“好き”は“生業”に変わっていく。
モノづくりを仕事にしたいと願う人は多い。
でも、実際にその道で食べていける人は決して多くない。
その差を生むのは、技術の差よりも「責任の感度」だと思う。
木を削る手の中に、社会の一部を担っているという実感があるかどうか。
そこを感じ取れる人が、長く生き残る。
「本気で作る」とは、自分のためだけではなく、誰かのために作ること。
それが、“好き”を仕事に変える境界線だ。
もし、今の仕事でその手応えを感じられていないなら、一度、現場の空気を吸いに来てほしい。
たくみ塾の説明会では、実際の工房での学び方や、OBたちがどんな形で“好き”を仕事にしているかを紹介している。
興味があるなら、まずは入塾説明会に参加してみよう。
職人としての“リアルな責任”と“確かな喜び”を、肌で感じてほしい。

小木曽 賢一
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