特別講座「川合優の仕事ぶり」
精力的に作家活動を展開する川合優さん(13期生)の元には、延べ3名のOBたちがお世話になっています。
今回は、高山にいらしたついでに、在塾生たちに最近の仕事ぶりについてご紹介いただきました。
ここでは、川合さんのブログを引用しながら紹介してみます。
謙虚に木に向かう
命ある木を使ってモノづくりをすることへの罪悪感を感じながら、作品を作っています。
数百年の木を自分に使う資格があるのかを、常に問うています。
森との繋がり
謙虚な姿勢で作品に向かう川合さんは、独立して作家活動を始める中で、自ずから森とのつながりを意識せざるを得なくなったという。意外にも、たくみ塾生の時には、森づくりには全く興味がなかったんだそうです。
森とのつながりを作品に反映させるようにしています。
近くの森のフィールドワークから展示会を始めています。
最近は、森林整備で切った木を使ったモノづくりに取り組んでいます。
この場所は、地元の方々の協力で、3年かけて生え放題だった竹を伐り、木を間伐し、子供達が気兼ねなく遊べる公の場所へと生まれ変わった。
というよりも、本来あるべき姿へと戻ったのだろう。整備をした事で、昭和初期まで普通に使われていた山道が現れた。この姿はおそらく、江戸時代やもっと前から変わらない風景だったはずだ。
そしてここだけではなく、市内のいたるところにある荒れた山林を整備し、本当の意味での豊かな町にしたいのだと、その役場の方は言う。
こういう事こそこれからは、どんな大きな道路がある事や、病院があることや、リニアの駅がある事より、もっと大きな価値として捉えられる時代になると思う。
市役所内の小さな部署だが、本気でこれを進めて行きたい!という熱意が伝わり、とても心動かされた。
ここでの僕の役割は、ここにある木からお金を生み出す事で、補助金ありきの現状から脱却するお手伝いをする事と、もっと多くの方々に、森の楽しさ、木の面白さを伝えていく事。
今までは作家として作品作る事だけだったけど、もっと大きな意味でこの動き自体が作品、みたいな見せ方にできれば、可能性はさらに広がるはずだ、と思う。
凛とした佇まいの作品には、生命としての樹木の営みを反映されている。
4枚の棚板は、もともと1枚の厚い板です。
4枚に割って、節の成長を見せています。
どんなところに育ってどう生きて来た木なのか、
作品に物語を反映させています。
大きな節が沢山あるのに、木目が非常に細かい。
節というのは、言わば枝の痕跡なのだが、太い枝(=節)が多いという事は、つまり沢山の葉っぱがついていたという事になる。
葉が沢山あればたくさん光合成をして、たくさんのエネルギーを生み出す事ができるということであり、そういう木は成長が早く、つまり木目の粗い木になる。
しかしこの木は、そうでない。
木目が細かいというのは、苦労して成長した証だ。
たくさんの競争相手のいる中で、こぼれ落ちる僅かな光りを求め精一杯枝を伸ばし、戦って戦って少しづつ大きくなってきた木だ。
そんな生命力のみなぎる木は、大きな家具を作るのには向かない。
人に対して強すぎる。
なるべく無駄が出ないようにぎりぎりまで薄くし、細い柱を立てた。
小さくても力のある棚になった。
木のルーツを辿る
作品に使用した木材の、もと生えていた場所を求めて、隠岐島へ渡ったという川合さん。
木工をやる上で、林業を、植物としての木を知りたい。
自分が使った木がどこからやってきたのか知りたい。
木が生えていた場所が分かるって素晴らしいこと。
木工って、単モノを作るだけでもないんです。
その杉は船に引かれ海を渡り、京都のある製材所で製材、保管された。
二十年後、ぼくはその杉に出会い、瓶子を作った。
そして今年、ぼくはこの瓶子をリュックに詰め、島に渡った。
その切り株は、驚くほど簡単に見つかった。
島の人が供えたであろう榊の隣に、そっと置いた。
二十数年の間、風雨に晒され土に還りつつある切り株と、人の手で大切に保管され、道具へと形を変えたその一部。
その記念撮影は、なぜだか少し恥ずかしそうに見えた。
海外に活躍の場を広げる
3月にニューヨークでの展示会を終えたばかりの川合さんに、手応えを伺ってみました。
日本の木の良さを伝えたくて、敢えて白木の作品を持ち込みました。
そうしたら、日本人以上に香りに敏感で、杉や檜の香りに良い感触を得ました。
海外にも活躍の場を広げる川合さんの、これからの活躍ぶりも楽しみです。
森林たくみ塾
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