
こんにちは。
飛騨清見は、ようやく田植えの季節を終えました。通塾路沿いの田んぼも、きらきらした水面の中に、まだ小さな苗がすっと並んでいます。令和の米騒動を耳にするいま、この風景が20年後も残っているかと、ふと不安になるのは私だけでしょうか。
昨日は、そんな“風景”がどう育っていくのか、そしてどう保たれてきたのかを学ぶ、環境講座が行われました。テーマは「遷移」。
これまでの講座では、一本の木の成長に目を向けてきました。でも今回は、そこから視点を一段階引き、「森全体がどう成長していくのか」を考えていきます。

塾長が描く時間軸は、気の遠くなるようなスケールでした。
火山が噴火して、一面の焼け野原になった大地。そこへ最初に現れるのは、地衣類や蘚苔類(コケのなかま)。さらに、一年草から多年草へ、そして低木、やがて陽樹が育ち、陰樹が台頭し…森はゆっくりと、けれど確実に“成熟”していきます。
「陽樹が大きくなったら、陰樹になるの?」
初級生からは、そんな疑問も。たしかに「陽」と「陰」という言葉は、つい性質の変化のように聞こえてしまいます。でも、塾長のていねいな説明で、“そこに何が育つか”が周囲の環境と関係していること、そしてそれが「遷移」と呼ばれる現象であることが、みんなの中に少しずつ浸透していったようです。
講座後、塾長に改めて話を伺いました。
Key:「遷移って、すごく長いスパンで自然を見ないとわからないんですね」
塾長:「うん、しかも“行くだけ”じゃなく“戻る”こともある。今日はそこが大事だった」
Key:「“退行”って言葉、聞き慣れなくて難しかったです」
塾長:「自然っていうのは、そのままにしておけば遷移が進む。でも、人間が手を入れて退行させることで“あえて途中で止めている”風景もある。たとえば、田園や高原の牧草地、海辺の松原もそうだね」
Key:「“手を加えることで保たれる自然”って、逆説的ですね」
塾長:「そうだね。でもそれが、日本人の自然観なんだよ。“自然を守る”ってのは、手を加えないことじゃなく、適度な距離関係で手を加えることなんだ」
私たちが“自然”と思っている風景には、じつは人の手と長い時間が関わっています。
塾生たちもまた、自分たちの暮らしと自然とのつながりを、少しずつ見つけているように見えました。
Keyでした🍃
それでは、またの更新をお楽しみに。
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