
こんにちは。
GWが明けたというのに、飛騨清見はまだ肌寒い日が続いています。
木々の緑がますます濃くなるこの季節、先週の環境講座では、いつもと少し違う静けさが教室に流れていました。
講座が始まる15分前。塾長が一人で外に出かけたと思ったら、塾の周辺を歩いて集めてきたのは、色とりどりの葉っぱたち。
机の上に並べられたそれらは、まるで植物図鑑から抜け出してきたみたいに、形も色もばらばらです。

でも、今日のテーマは「名前を覚える」ことではありませんでした。
塾長の問いかけは、もっと根っこの部分に触れてきます。
「どうして、この葉っぱはこんな形をしているんだと思う?」

塾生たちは少し戸惑いながらも、じっと葉っぱを見つめて考えます。
「光をいっぱい浴びるため?」「風に強いように?」「虫に食べられないように…?」
そんな言葉が、ぽつりぽつりと教室に落ちていきます。
答えをすぐに出さなくてもいい。
むしろ「なぜ?」と問い続けることこそが、この時間の意味なんだと感じました。
講座が終わったあと、私は塾長に、あらためて話を聞いてみました。
Key:「葉っぱの“形”って、見れば見るほど、意味が詰まってる気がします。」
塾長:「そうなんだ。よく“自然淘汰”って言葉で片付けられるけど、それだけじゃこの形になった理由は説明できないよね。
たとえば、二酸化炭素の濃度が下がって、光合成の効率が落ちないように。強い風でちぎれないように。雨に打たれても速やかに排水できるように。虫に喰われても、最小限の被害で抑えられるように…。そんなことを考えて、葉っぱはカタチを決めている。そして、低コスト短納期で広い面積を占有しようとしている複葉たち。偶然の産物ではなく、そうなるという“意思”を感じるんだよね。」
Key:「植物の“意思”……すごく納得しました。葉っぱって、生きるための知恵がぎゅっと詰まったかたちなんですね。」
塾長:「そう、工夫のかたまり。自分がどんな場所で生きてるかを知って、その環境に合わせて最適化されてる。
“意味のある形”って、やっぱり美しいんだよ。」
いつも何気なく見ている葉っぱに、こんなにも深い「意味」があったなんて。
講座のあと、教室に残された葉っぱたちをもう一度見てみたら、その輪郭ひとつひとつが語りかけてくるように感じました。
「ねえ、どうして私はこんな形なの?」
そんなふうに聞かれている気がして、思わず立ち止まりました。
身近な自然の中に、こんなにも知性が潜んでいる。
そんな気づきをくれた、静かで豊かな時間でした。
Keyでした🌿
それでは、またの更新をお楽しみに。
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